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えんぴつようさい

希美の日記。うれしいこと、たのしいこと、何でも募集中です。夜中のラブレター状態。


管理人:野津希美-のつきみ(詳細) 別館:それからえんぴつ(小説) 
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2017 
November 21
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2015 
February 11
どんなテンションでブログを書いていたかもよく覚えていないけれど、こうやって眠れない夜にキイボードを叩いて気持ちを落ち着けたい気分の夜は何度もあったと思うし、そういう気分なので久しぶりにログインしてみました。パスワードも覚えているものですね。

自分に希美という名前をつけたのは中学の頃だったと思いますが、私はもうすぐ大学も4年目になるわけです。中学にも行かず、家族以外と大した接点も無く、それでも誰かに存在を認識してほしかったりしてこうしてこんな場所で文を書いていたのだなあと思い起こされます。がつがつ交流していたわけではなかったですが、誰かとつながりが持てていたことはあの頃の私にとって大きなものだったのかなと思います。今でもネット上でがつがつした交流を持つことはないですが、気にかけてくれていたり、twitterで星を飛ばしてくれたりする人がいることにほっとするので、たぶんそれくらいが私にとってちょうどよいのですね。リアルでのつながりもあんまり濃密なものではないけれどゆるやかにつながって、気にかけたり、待ったり、している。
だから私はけっきょくのところ大きくはなにも変わっていないのだと感じます。中学の頃のひきこもりの私も、それなりに大学生をしている私も、同じものだと感じることはできています。私は、私のつづきなのだ、と思います。だから、あの頃いやだったことが今でもいやだと思ったりするし、苦手なものは苦手で、できないことはできなくて、楽しめないことは楽しめない。
変わりたくない変わりたくないとずっと思い続けている反面で、私自身は違う何かに変わってしまいたいと思い続けてきたのかなと思います。変わりたくない、というのは、「環境に変わってほしくない」というのが強かった。私自身が違う何かであれば、こんなことを苦しまなくて済むのに、楽しくやれるのに、っていつでも思います。あの子だったら就活も楽しくやるんでしょう、って。

3年になってから、就活だ就活だっていう空気が流れ始めました。インターン行かなきゃ行かなきゃって。私はその空気の一部になれなかった。働きたくないし、将来のことなんて考えたくないし、意識高くなれないし、向上心もてないし、苦しくてたまらない。「がんばる」ことが、何か目標に向かって努力をすることが、何か目標を持つことが、何かに向けて苦しいことがあっても耐えることが、すごく、偉いことなんですね?この世界では。
私はがんばりたくないし、目標なんてないし、苦しいことがあったら逃げたい。楽しいことだけしていたい。楽しいことをするためにはそうでないこともしなければならないというのは分かります。でも、その、楽しくない活動をいかにミニマイズするかというのが私のあり方なのだと思う。でもなんだか、苦しむことが尊ばれていて苦しい。息苦しい。
楽しいことと苦しいことを天秤にかけて、苦しいことに傾けば、私はすぐに捨ててしまう。もちろん、その瞬間だけを切り取ったら苦しいだけの場面があるということも分かっていて、長期的に見れば苦しみに耐えたほうがいい場面があるのは分かります。ある程度、そうやって長期的に考えることもできているはず。ただ、すぐに捨ててしまう、なにもしないほうが楽しくなくても苦しくない、そういうところにすぐにたどり着いてしまう。学校へ行かなかった、行かなくて苦しい思いをせずにやりすごせた、そういうところに起因している気はする。

けっきょくのところ、スクールボイコットがアイデンティティの根っこのところにあるんでしょうね。嫌なことをしないことで、それが嫌だと示せるということに味をしめてしまったのかもしれない。あるいは、嫌なら嫌でものすごく嫌そうにしないと理解してもらえないというのは実感してしまった。苦しいよ分かってくれっていうのが見苦しいのはわかるけれど、たぶん誰にも分かってもらえない。痛々しい考えがいつまでも抜けない。
嫌でも耐えて耐えて耐えて耐えてやらなければいけないことはあるんでしょうね。最初は嫌でもやってみたら楽しくなるとかそういうことにはなりえなくて、ただただ耐えて耐えて耐えてってすることしかできない場面があるんでしょうね。そうしないと生きていけないことだってあるんでしょうね。そういうときに、だったら生きなくていいや、って、そうなってしまう思考が危ういだけなんでしょうね。それでも、あの人たちだったらこんなに嫌じゃないんでしょ、苦しくないんでしょ、ってそれはすごく思っている。私が、私だけが、こんなに苦しい。そんな風に思っている。

耐えて耐えて、乗り切ることができれば、なにかあるんだろうか。なにかあるって希望があれば、耐えるための糧になるんだろうか。今の私には何もない。受験の頃の私には、少なくともあの人がいて、けっきょくそれだけのことだったんだろうか。
就活というものに耐えて耐えて耐えて耐え抜いたら、働き口を見つけることができたら、それで救われる、って、そういう話だったらまだ楽なんだ。「大学に受かる」ことが目標になってしまうのと同じ感じだ。救われるっていう見込みが一切感じられないんだよ。絶望しかないんだよ。

そこまで考えて、「でも」って思う。大学に関しても絶望しかなかった。友達なんてできなくてネトゲ廃人になって死ぬって思ってた。すくなくともあの人と別れたら死ぬって思ってた。そんなことはなかった。意外と息ができた。初めて居場所ができた。毎日会える相手ができた。毎日話せる相手ができた。友達に「わかってもらえてる」感覚を、初めて、得た。
大学は、この場所は、好きだ。そんな風に思えるなんて、入学前には全然、一切、予想もしていなかった、と思う。だから、今絶望していても、シャカイジンというものはそこまで悪いものじゃないんじゃないかと思ったりもする。毎日行く場所があって、社会的な居場所があって、電車の中でtwitterを見て、土日にはtwitterしてごろごろして、気が向いた時だけ遊びに行って。メンタル的にものすごくえぐられたりするような仕事じゃなければ、例えば大学の授業を受ける程度の消耗で済むような仕事だったら、きっと続けていけるだろうなって思うし、それを通して生きていけるだけのお金が得られたら、それって持続可能な幸せじゃないだろうか。

たぶん、博打みたいなものだ。今現在の苦しみを賭けて、「持続可能な幸せ」を得られれば勝ち。ただ、勝算が低すぎるように感じられるから乗り気になれないという話なんだろう。苦しむだけ苦しんでなにも得られなかったら嫌だという気持ちが先行してしまうんだろう。ただ、ルートとしては、苦しんで幸せを得るか、苦しんで幸せを得られないか、苦しまないで苦しくなるか、ということではある。つまり苦しむしかないんだな。

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